※上手く聞き取れなかった箇所はラインを引いています。

 

それではみなさんこんにちは。えっと、6月9日ですね、ここでシンポジウムしまして、そのときに喋ったのとほとんど内容が同じになります。ちょっとやっぱり、中身変えていきたいなと思います。まずは今日この場ね、会長ありがとうございました。去年の秋に「お前生きとるか?」「まだ生きてますよ」、~。であの頑張ってまた今日いきたいと思います。6月9日ちょっと、ここへすでに来て、お前の顔いうんか、お前の話聞いたいう方ちょっとお手を挙げていただけますか?何名くらいいらっしゃいますか?おひとり?ほとんどがいらっしゃらない?ということは、あのー、OKですね。基本的に、新しい方が多いということで。進めさせていただきます。ちょっとー、爽やかにということで、先月家内と北海道に行ってきました。そのときの写真です。えー、色々湖を撮っております。サロマ湖、阿寒湖、色々撮ってきました。

それじゃあ始めさせていただきます。

まず、あのー、名前が、会長紹介いただきました、Sと申します。潮岬、私の郷土だったSです。全く知らない、このひとから名前を、父親からいただいた。和歌山県が生んだ素晴らしい方でもう大先輩。で、このひとは 何をした有名な方かと言いますと、昭和20815日、先の大戦、大東亜戦争、第二次世界大戦、これの天皇陛下の、終着?いうんか、これ以上戦ったら、一億総玉砕とか言うけど、もう日本人類成り立たん、戦争やめたという玉音放送されました。それをプロデュースした方です、Sさん。当時の情報大臣、朝日新聞社社長、拓殖大学の学長とか、もう諸々のことなさってますけど、だからまああの815日の映画では、必ずこの人、終戦の日の動乱の映画出ておられます。ま、父親はこういう偉い人になるようにと名前をつけてくれました。S姓は、二上山の下の村で、旧たいま町ですけれども、父親のふるさとです。そこがまああの、いまふたり女子眠っておりますけど、二上山の下の村ということから姓名が来ておるものです。でー、戦争でやはり両親商家やっておりましたので、大変苦労しましたけど、私はその親のもとで貧しいながらも戦後大阪生まれ大阪育ち。で、会社もどういうわけか、ちょっと違いますけど空調機の会社ですね、旧名が大阪金属と申します、入社する前にカタカナでダイキンという形になってます。そのマザー工場で、40年近く安全防災。だからあの従業員の命と健康を守るというのが私の仕事で、自分が病気にもならない怪我もしないと、そんな生き方をしてきたという男でございます。で、60歳で定年を迎えまして、もとの会社は非常にありがたい会社でして、だいたい65までみんな務める、70まで勤めてます、我々の仲間でも。そのあとやりすぎですけど、そのあたりが病気のもとなんですけど、かんとくしょ(監督署?)いわゆる厚生労働省にもこわれまして、3年間働かせてもらったり、コンサル活動ですね、それから講師とか、やりまして、70歳に近づくにしたがって、ますます仕事が忙しくなる、そういうことをやってきた。15年末に発症しまして16年に手術を受けた。趣味は走ること、マラソンとフナ釣り、あとで写真も出しますけど、そういう男でございます。お付き合いください。

ちょっと冒頭、あの、本論入ります前に。今日まで京都で、国際会館で、いま日本臨床腫瘍学会、内科の、がんの内科の先生集まって、それから世界から他の国からきて学会やってますけど、そこで患者とか家族が参加していいよという集会があって、そこでの最近、ちょっと感じたことだけ、ご報告します。みなさんご存知のように本庶先生のノーベル賞受賞で、あの、去年はやはり免疫チェックポイント阻害剤、いわゆるオプジーボを中心にですね、ニボルマブ、これらがもう華やかに出とったんですけど、ちょっとやっぱ今年はトーンダウンしてます。で、やっぱりあの副作用の問題であるとか、効果が思ったより、やっぱり去年からすでに言われとったんですけど、だいたい18%くらい、2割弱、今年あたりそれが非常に強調されてました。それからもうひとつがやはり個別化医療ですね、それからゲノム医療ということで、遺伝子ですけど、これが今年のキーワードとなってます。先生方が言われるのは、こういういろんな言葉が飛び交っても、要は患者の我々にいかに自分に合う使える、有効な治療薬を見つけ出せるか届けるか、これが課題です。ゲノム解析解析という、私も受けましたけれど、まああの2つあります。1対1であの、コンパニオン検査ということで、要は治療薬を使えるかどうか、プラス陽性で使えるというような、これはあのー、先生方おっしゃっていたのは、やはりみなさん方も現にがんと闘病されている方に、早く実際のところはもう、初期段階で早く受けてですね、治療薬を選んでいくのが大事だと。例えば、私の場合だと、キイトルーダが保険収載されましたんで、すぐ急性期で言いましたけども、結果はあのマイナス、使えない、ブーですけど、でもやっぱり色々言ってやってみる必要はある。それからもうひとつは、これもやりましたけど、プロファイリング検査いうことで、要は標準治療終了者、保険でだいたいできるそういう治療がおわったひと、私はみたいですけど、もう、ちょっとそれではなかなか治らないというか、抗がん剤もファースト、セカンドもいったいうふうな感じ。そういうひとが対象になるいうことで、どなたさんもやりたいというのは、できないという形なんですけど。ちょっとこれやっぱり費用高い、安いので25万高いので100万近くになります。ただこれ受けてもね、変異が出てきます、いろんなあの、、だけども有効な治療薬にたどりつくひとはまだ、10%あるかないか、そんな状態。だから私もやったけどもこれ、結果、ブー、薬ありません。まあだけどもあのこれ、昨日あのずっと参加して、ものすごいみなさんやっぱりスピードで、例えば喋っておられたのは肺癌の先生だったんですけど、肺癌の治療薬なんかはこの変異からものすごくやっぱり次から次と出てきております、新たに。だからそれらのがん腫が違っても、他のがんに適応される、それがやはり、出てくるであろう。だからやっぱそこに我々厳しい膵癌であったとしてもね、望みをかけていけるかな。世の中のスピードは猛烈な勢いで。日本国だけじゃありません、世界中でやってますから。だからやっぱりみなさん、1日1分1秒でも生き延びんとこれはいかんという感じがしております。ちょっとご参考までに。

それでは、あの、今日3つですね、病気になって知ったこと、学んだこと、思ったこと、このまあ3段階くらいでざーっといきたいと思います。まず自分がなぜお前さんが膵癌になったかいうことですけど。

201512月、家内と毎年定年後、あの、堺市の人間ドッグ行ってました。「そこでSさん脾臓近くに嚢胞がありますよ」とエコーをみてか言われました。どきっと、まずぎくっとしましたけども。ん?いままであのコレステロール高いとかそういう所見はありましたけど、こんなん初めて。で、正月絡んでましたので、ちょっとやばいなーと思って、インターネットはたたいとったんですけども、脾臓の嚢胞というても、膵臓癌の可能性はあるというのはちらっとキャッチしておりました。で、翌月ようやく中堅病院CTしまして、精密検査。ところとたんにまああの、先生いわく、「膵臓やな」という言葉を吐きはりましたね。これがどひゃーという感じで、やばいなーと。で、その次の27日また同じ先生、内科医の先生、予約とっとったんですけど、講習している出先に1日遅れた外科医にかわりますよと連絡入りました。これで決定的です、うわーやばい、こらあ覚悟という感じいたしました、大変直感しました。この前あたり安全接しておりましたから、産業医の先生とか、もとの会社にたくさん来ていただいたけど、たまたまちょうどその産業医の先生の奥さんになったいう人、いわゆる阪大から来ていたその先生ですね、我々の産業医の先生、成人病センターにおられたんですけど、そういう先生がうちの女性にみそめられて、同じ仲間ですが、そういう人がすぐそばにおったもんですからすぐ連絡入れておきました。「なんぞあったらお父さんに相談のってね」というような形。それがあたった。で、28日行きますと、先生の真剣な顔ね、看護師さんも真剣な顔、こっちはあまり真剣な顔でなくてふいっと入ったら、「Sさん、あの膵臓の膵尾部に2cmのあの、がんがありますよ」。どかーんという感じ。大ショックです。すぐやっぱり、より精密検査をおすすめします。で、そのときにうちの病院でと言われたんですけど、先程言いました、なんぞあったらということで、大阪府の、急性期の先生のとこに頼ることにしました。もうそれ聞かされたときですね、みなさんと一緒と思います。なんで自分が?もうすぐ死ぬのかな?あかんんかな?膵臓癌ですから。私ぶっちゃけた話、企業の中で従業員、近所のおじさんおばさんたちいうか、膵臓癌で生き残っている人というのは、ほとんど知らないいうぶんもありましたんで、もうあかんかな?という気しました。糖尿病。ちょうど今日も車乗って来てますけど、新車買ったばっかり、新車。まだあの、1か月も経ってない、この車これから誰が乗るのか?とかもう大ショックですよね。だから家内に会うまでうちへ落ち着け落ち着けよう帰ったなと思います。だからこのときがいちばん、というか、みなさん大変だなと思います、この段階が。発症つらつら考えておりますと、なんだろう、先程もちょっと触れましたけど、70歳に近づくにつれて仕事量が増加した、それはなにというか、どちらかといえば、家内にも叱られた。「お父ちゃんあんたはNOと言えへん人や!」できませんというのが、会長に言われて「発表するか?」言われたら、「はい」、すぐ、ノーと言わないから「ちょっとできません」と、「来年の7月まで生きとるかどうかちょっと分かりませんから」言わなあかんのに、なかなかそういうこと「はい!」とすぐ言ってしまう、こういう性格。だからいまで言うたら、忖度、忖度、我々高校時代から忖度いう言葉使ってましたけど、なんかちょっとやっぱり。それからもうひとつが、地域活動。いわゆるみなさんがたも自分の地域で小学校単位ぐらいで連合の町会というのがあるかと思うんですけど、そういう「役員やってくれるか?」、「はい」と言ってしまいまして、もう土日に行事が多い、とかいう形で。なんとか喫茶じゃなんやかんじゃ、もうそしたら休む暇がありません。それからもうひとつはやっぱり長年昨日もちょっと実は22時半まで行ってきたんですけど、付き合い、久しぶりに行ってきたんですけど、60歳以降も定年以降も可食気味、ちょっとやっぱり、よろしくない。それからもうひとつは運動量の減少ですね。定年後ですね、自分のこの仕事、個人事業主みたいになりましたから、企業の中ではありません。朝のラジオ体操してません。ジョグというかマラソンのための練習も減ってきてですね、どんどんマイナス。それから直近の負荷、仕事の急不可、大工学部長から「Sさん安全教えてあげてくれるか?」、「いいですよー」、またこれもNOと言わない性格で、で、学部長から講師ですけども「謝金少ないけど、定年ないからやってみる?」って。「いいですよ」。それで、ここ下ですけども、3回生教えるために2か月分ですけど、ほぼ毎週あの2・3時くらいまで、ちょいとむちゃくちゃ資料、このパワポを作るために、いいのができあがったんですけど、結局1年でパーですけど。そういうことがあった。いわゆる60歳まで、胸腺?、免疫あるけどもうなくなる、あとは腸だけの免疫力なのに、ますますこういうので、もう追いつかない。だからがんのあれが出てきた中で、拮抗する中で、やられたかなという気がしております。変調はどうだったの?というと、あとから思いますと、実は、10月くらいここにあの痛みがあったんです。今まで感じたことのないような痛み。で、大正製薬、胃腸薬をのんで、漢方の胃腸薬、あんまり治らないな、医者行かなあかなかったんですけど、もうすぐ人間ドッグあるね、っていうような形で、ちょっとおさえてた。それもちょいとまずいかな。どんなの?いうたらそのお腹と、それから便です、皆さん方、消化管はやっぱり便ですね。もう立派なのが出なかったり、私の場合この半年くらい粉みたい粉状。そんなような便になってた。だからやっぱそこはおかしいと思わないと。そのへんがやっぱり忙しさにかまけて。で、検査しましたら、もうすべての検査いたしました。造影から始まりましてMRIまで。入院もしてERPもやりました。結果はステージ4ということで、内科医の先生から、ただし、手術はできるよと言われましたのでチャレンジしました。手術で知ったことですけど、膵体と膵尾部、私はしっぽの先だったから、もうあの先端だけかな思ったら、やっぱり55%くらいとられまして、脾臓もとる、左副腎も切除する、それから脾臓動脈続くところの血管全部、胃壁の郭清、リンパ節、全部取ると。6時間、だから標準的は標準的。入院は22日ですけど。先生からやっぱり最初言われたのは10%の命を取りに行く手術。あんまり意味がよう分からんかった。患者としてはもうあのー、手術が終わったらほっとしてしまう。退院のときには、先生指3本立ててくれまして、「Sさんよかったね」、「先生何?3つ約束するんか?」、「違う違う、お前さんのステージは3やったんだぞ、病理検査の結果」、ラッキーいう感じがしましたけど。このあたりがまずいんですね、なんか自分としては手術終わったら治ったん違うかみたいなね。違うんです。これを忘れとる、再発転移。2年以外に膵癌は基本的に襲ってくる。だからここの段階で、再発したあと、このあと色々またお話しますけど。はよ手をうっておったら進行がもっと食い止められたな、そういう反省はあります。術後は、S-1ですけど、5クール約8月間利用しました。で、体調的にはあの、食欲不振以外、あるいは両指と爪割れ若干ありましたけど、いちばんは骨髄抑制、これは目に見えませんけど。だけどもあの、みなさんが言うほどむちゃくちゃ苦しむことはなくですね、終えられたかなという感じ。先生ももう8か月やってこれ以上やってもあまり効果がみられないということで、3か月ごとのCTにかわっていきました。それでもやはり1年8か月後に肺。201712月、右肺のS8というところに見つかりました。最初1個でしたけど、その月末にはもう2個になってました。3か月もうちょっと見ようねと、原発の肺癌かな思うて。まあそのあたりが患者の気持ちと医者のずれのところがあるんですけど。もう待ちましたら4か所に増えて、なんていうますかねみなさん、雨後のたけのこみたいににょきにょきとがんが見つかる。これではいかんということで標準治療ですけど、10か月間、ナブパクリタキセルとジェム、アブラキサンですけど。これをやりました。そしたら最初の2か月で効果があらわれまして、小さくなりました。4つあったのが1つ消えてですね、あとが縮小という傾向、8月まではあの、横ばい、そのままでした。ところがやっぱりレジメン通り、メーカーの薬のレジメン通り、6か月目あたりからちょっと厳しくなってきて、60%投与と落とした分もあるんですけど。もう、春、3月20日スタートして、1011月くらいには、そろりそろりと薬剤耐性、効かなくなって、これがいやらしいところですね。

転移後ちょっとあの、私自身のそういうデータが、、お医者さんに渡した資料を私にポント返してくれる先生もいますので。それを観たらこれがわかりました。お前さんのがんは悪性で、転移性の腺癌、分化度は中分化。分化度というのは未分化・低分化・中分化・高分化っていう4段階分かれておりまして、細胞の分裂の分化の度合いをいいます。未分化のほうがやっぱりちょっといやらしい、進行が速い。高分化のほうが遅い。ただし、未分化のほうが抗がん剤などは効きやすいと。ちょっとそうした相反したものがある。それからお前さんのがんは浸潤性でスキルス。こうせいだんかい。いわゆるおのれの細胞がんは鎧を着て、防御して抗がん剤受け付けないような、いやらしい癌だ。それから忘れてた、これがいちばん大事、リンパ節のひとつに、近くに直接浸潤してた、ということは、身体中に血液の中に癌の幹細胞が、それが生き残ってる形です。だからちょっと冒頭言いましたけど、転移するということを忘れるというのはいかんなーと。1年8か月、仕事量落としてましたけど、もとの手術のあとの生活に戻ってやっぱり、同じことしてますからね、食事など、そのあたりがちょっとまずかったなという気がします。だからまあ皆さん方もまだ今日あの私みたいに転移してない方は、手術おわった後だけの方は、どうかちょっとその次のことも考えて、治療手段という色々

次学んだことですね。で、これはもう悔しいけど、、遅いけれども、転移後が大半です。で、みなさんやっぱりがんは情報戦です。だからこういう場、今日もみなさん来られたら分かりますけど、たくさんの方が入院患者おられますけど、こういう患者会とか、ここに来られる方素晴らしい~方、前向きな方。やっぱキャッチアップしたい。これが大事です。まずはスタートしたのは、あの、膵癌の知識、病院のパンフレットから、あとはやっぱ主治医の先生とのやりとり。主治医の先生とやりとりするためにこっちもやっぱり、医療知識というか喋れるくらいもっていかないといけない。いちばん大事なのはコミュニケーションですね。それからあと本、講演会、それからネット情報、患者会。こういうところを、それぞれお話します。で、いちばん最初はやっぱこのパンフからスタートしました。これがスタートです。基本中の基本。これからやはりあの、窓口ですね。病院の窓口からどんどん情報をたどっていくのが大事かなと思います。先生は、大病院は、待つのがだいたい予約入れてますけどそれでも、肝胆膵の先生方は忙しくて、下手すると1時間くらい待って、話ははい5分で終わりというような場合もあります。もう非常に短い中で。それから先生方、入力せなあかんから、どっちかいうたら患者の顔を見ないでパソコン見てやられたり、コミュニケーションありませんから。その中でどうして自分の病状現状ね、これからやっていく方針治療の中身医療用語分からんところ、いろいろ分からんところ、そんなところ疑問点をどんどん聞く。ぼろぼろになりましたけど、私はノートを持って、先生方とひかえるということをやりました。いまかわられたんですけど私の執刀医ですけど、〇〇先生という、素晴らしい先生なんですけど、いちばん嬉しかったのは、だんだんとコミュニケーションが、1年2年なってきますとコミュニケーションがとれるようになって、大阪の地震のとき、「Sさん」、聞いたら、「Sさんよう聞いてくれた」、スホマ、「家の中がちゃがちゃやねん」、スマホ画面見してくれて、「大変やったなあ。応援に行かなあかんかったな」感じで、笑い話なるんですけど、やっぱりなんだかんだ先生も生きてる人間ですから、くそ忙しい中で、次から次から患者さんが来るわけですけど。そんな中でやはり、目に留まる患者じゃないですけど、やっぱりあの

私も最初はなかなかその先生との。でもやっぱり人間、信頼関係、人と人ですから、よくやっぱり言われるんですけど、ぜひわしの先生なかなか言うこと聞いてくれへんとか、色々あるかと思いますけど、結局あれと一緒、上司と部下の関係と一緒。あの、上司と親は選べません。我々患者も、医者というのは、選ぼう思ったら選べるかも。でもやっぱりそんな中でいかにコミュニケーションをとるか。どうしてもやっぱあかんときはもう。それから書籍ですけども、だいたいぱっと見で見たら、あの、そういう臨床の標準治療の先生方は本をほとんど出しません、もうあのガイドラインとか。そうすると、自分がクリニック開いてるとか、自分が得意的なやついろいろやってる、そんな本が圧倒的に多いです。だからこの中でもみなさんがた、自分にとってほんとに何がいいか、そういうものを選んでいただきたいな。よく言われる近藤先生などのぶんは、もうあの、がん治療はせんほうがいいっていうような先生もほんまかという、、すべてがおっしゃってるのがみなさんがた間違いとは思いませんし、すべてが合ってるとは。それぞれの方々のやっぱり考え方です。そういうことを思ってやっぱり参考にする。それから公開講座はだいたい関西地区でやっているなーというのは行くことにしています。であの、この135会が、会長のこの会にお会いできたのも、実は18年2月の大阪国際交流センター、ここであの、講座があったわけですけど、そこで別室のところに展示されてまして、大阪国際がんセンターにやっぱりあるんだと、すぐ見せていただいたという。だからまあ、それぞれ先生方いろんな先生が来て話されますけど、最新の話もやっぱり多いですから、しんどさも、わざわざ梅田まで出なあかんとかあるかと思いますけど、なるべくみなさんがた。結構集まりますと、このメンバーが大阪城とか近辺から集まりますから何百人とか集まりますので、仲間がやっぱり見つかります。それから昨日などは特にそうでした。ひとつだけちょっと言うときますと、腫瘍学会でですね、こういうところでお医者さんがどんどん一方的に喋られますね、そのあと質問タイムがある。だいたいこのおっちゃん私質問するのが大好きですので、質問した、そのあと膵癌でこれこれというゲノムとの関連で質問した、休憩時間帯その先生が終わったあと、兵庫県の娘さんが来られて「母親が膵癌です、手術できません」、前のおばちゃんは「私も膵癌です」、ほんならやっぱりすっとそこで3人の輪ができるわけです。現状とか病状ぱぱぱと確認できますし、だからやっぱりみなさん出会いというか、そんな中でね、すぐやっぱり仲間がいますので、ぜひ出られたほうがいいかなと。次がネットです。ネットはみなさんご存知のように、もう、めちゃくちゃでございますというか、情報は。たたけば入口いらっしゃいというような。自分に正しい情報をやっぱり探し出してください。公的機関病院関係はエビデンス基本のしっかりしたもの、民間クリニックはやっぱり宣伝情報です。もちろんこの中にも、力のある、全然効かないというものではないものもありますけど、それから、必ずあなたのがん治りますってのは、これはちょっと信じがたいですね、そういうのはやっぱり。それからもうひとつやっぱり言われたのは、あの、いろんながんでも治る人は必ずいます、治る人はゼロじゃない、例えば膵癌でも。そうすると体験談でバーンと載る場合ありますけど、それもみなさんがた普通考えたら、自分に置き換えたら、うわぁ治るんだと思いますけど、そんな甘いもんじゃないという、そこもちょっと知っておいていただきたい、だからそういうあの、治った治ったいう方のぶんもちょっとやっぱり。それからあとはあの、患者さん自身がね、載せてる場合があります、そういうブログがあったりしますから。そういうところは、意外と参考になる。それからずーっとたたいて見てても、もう、がんに関する記事というのはボコボコ出てきます。で、あの、これ、スマホなんか持ってる人なんかは、自分の膵癌に関わる情報を毎日ひろうてはるような人もいますけど。そういう中でね、あら?はっ、あれっと気づく中身が、光るもの、それを大事にしていただきたい。自分に合うもの、見つけ出していただけたらなと。それから患者会ですけれども、あなたはなぜあの急性期というか総合医療センター、そこへ行かなかったか、やっぱりなんかちょっと、その自分の病院というかメイン治療病院に行くのちょっとなんか引けた。ところが、こういうところ、がんセンターやってるいうたら、行ってみようかなとすっと思いました。どこ行ってもいいかなと思います。で私はこの「135会」毎回参加させていただいて、こちらの先生の話、抗がん剤、放射線、緩和ケア、最近のがん治療、全部聞かせてもらいました。いわゆる最先端の話を聞かせてもらいました。質問もできます。それから、膵癌患者グループの情報交換、いつもやっております。そしたら、その方々といまどうやねんという形で進行状況や治療の中身がやっぱり読めてきますんで、大事かなと。それからこのセンターで膵癌教室やっておりますそういうのに参加しております。こういうところに参加するというのは、生の情報が入ってくるということです。でまあ、そんな中で知ったのが、もういやなことですけど、膵癌のこわさですね。3400分の1です。3400人に1人が膵癌になる。宝くじなんかいっこもあたらへんのに、なんで3400人に1人でこんなん当たんねやと思って。自分でも。で16年、ちょっと先になりますけど、31000人の方がなくなっている。肺癌、大腸癌が多いんですけど。ただ、先ほど会長も言われたように、罹患者数と死亡者数がニアリーイコール、本当にうっとうしいがん、治りにくいということ。ほとんど膵癌というのは膵管ですね、インスリンとか出します、その膵管の上皮性の細胞に発生します。間質という細胞間支える組織、間質性肺炎の間質とはちょっと違う、そこが線維化するというのが他のがんと違う。だからもう、鎧を付けたがんである。抗がん剤が到達しにくい。神経周囲に浸潤、リンパ節に高頻度に。で、転移がもうどんどんいたします。なんでやといえば、この足が速いのは、膵臓みなさん考えてみてください。胃とか大腸とかまだ組織があるんですけど、膵臓というのは筋膜がない。ほぼ裸に近い。防波堤がない。だから、そこでできた腫瘍はすぐご近所に浸潤していく。手を広げていきよる。消化管、重要な動脈にまきついていっちゃう。私のような進行がんになりますと、言いましたように、血液中にがんのあれがまわって、循環しております。高速で循環しております。全身病になる。いまのところ肺に6つですけど、どうなってるか分かりません。だからもう他にね、転移しないことを祈っています。知れば知るほど、肺癌の方がいいとか、乳癌の方がいいとか、子宮頸癌の方がいいとか、あのー、大腸癌の方がいいとは言いませんけど、なんで膵癌かとどっかちょっと引っかかる。

最後ですね、ちょっとこっから思ったこということで、ちょうど20分ばかり。実のところ、私のありがたーいことに、あの、守っていただく5人の先生がいます。メインが大阪急性期総合医療センター。免疫では、この近くになりますけども、自由診療・自費診療になります大阪がん化学免疫療法センター。それからあの、患者会とか膵癌教室で国際がんセンター、またあの、放射線治療についてはこちらで相談させてもらってます。もうひとつがですね、いわゆる標準治療がなかなか終わったら大病院の場合は、「うちではこれ以上することはありません」という場合、頼っていけるところ、京都のあの烏丸御池に和田先生という方がおられます。で、ちょっと学説違いますから、私のこの先生方みんな仲良しこよしというわけではありませんけども。あの、それぞれの立場からサポートしていただいている。この先生あたりは食事療法とか生活習慣とかそちらの問題です。それからその、、家の近所のかかりつけの先生です、この先生などはビタミン、標準治療では「ビタミンCなんかあんなんやってもがんになんの役にも立たん。エビデンスがない」とか言われますけど、私は毎週やっております、今日もやってきました。それから最後は口腔ですね。歯が生えるかどうかというのが、炎症が起こってるか、CRP値、血液で分かるわけですけども。そういうところでやっぱ、生きていくいちばん最低限。この歯医者さんも「Sさん、歯だけは任せてください。お前さんのバックアップします」ありがたーいことに、あの、だいたいこうたくさん先生がおられると、自分がやる病状からすると、先生こんな話です、、だいたい5分の4、4人ですけど、「そうやなー」とそちらの方向に行く場合が多いですから、それで安心してます。これがものすごい安心かな。ちょっとすぐにはなかなか死なないぞ。かも分かりません。本音のところは。なんでこういうのお前さん探ってきたん?いうことなんですけど、もともと私の知ってる先生は、その先生は大腸癌の先生ですから、肝胆膵の先生に診ていただいた。で、ここの先生どちらかといえば阪大系ですので、普通大病院はこういうあの自由診療とかエビデンスがないのは、いやーっていう場合が多いんですけど、一応は「責任はうち持てませんよ」と言いながら紹介状とか書いてくれる、そういう良さはある。こちらは関東の堀先生のところに行って、いわゆるあの、治療法を聞いたときに、こんな立派な先生がおられるいうことで門たたきました。で、もちろん国際がんセンターもみなさんがた通じて。

治療経過ですけども、いちばんやっぱりあの、小康状態ですね、手術が終わった後、抗がん剤投与、で、年末2017年のCTあのしてくる、このあたりが大事だったかな思います。ここはあまり手当せんと。厳密には2018年去年からですね、ありとあらゆることやっております。ありとあらゆるやってることちょっと見てみましょう。で、エビデンスと言われる標準治療、外科療法、放射線療法、みなさん、、化学療法。それ以外に、複合免疫療法とか、エビデンスがないものですけど。しかもあの、高額いうことで、自費で非常に高いです。だからここのあたりが、効かなかったらもったいない、損したとかいうか、やっぱり、考えるかですけど、そこは自己責任になります。あと補完療法になります。温熱、8週間8回は標準治療で保険適応あります。それからビタミン、サプリメント、ちょっと高額なものもあります。あとはもうこのあたりからは自分でできる、運動、食事、漢方薬、ちょっとそういうようなところ。ブルーが一応今まで自分がやった、あるいは現在もやってる。で、化学療法で最後残ってたFOLFILINOXですけど。標準治療で、急性期の先生から「Sさん最後これやけども」、「これはちょっと先生勘弁してください」、ということで、ペンディングしております。

で、がんになって思うことですけど、常に言うんですけど、みなさん、がん、いちばん最初落ち込みますけども、死ではありません、すぐ死ぬことはありません。そんなに、がんになったら明日死ぬんかいうたら、絶対死にませんから。だから、いかに増殖が、われわれの中で、最初ちいこいやつが、どんどこどんどこ10の6乗8乗どんどん増えていく。それが全身にあの、増えていく。負けるというか分岐点。そこが大事かなと思います。そこまでは負けてはならん。みなさん、何があってもやっぱり、頑張って。それから進行がんも全身で。で、がんほど賢い手ごわいと言いますか、もう本当にこのど根性してます、がんは。ありとあらゆる手段をつかって。考えてるんかなと思います。で、無制限に増殖します。普通の細胞はこれで終わり、ぴっととまるのに。どんどんどんどん。血管を新たに自分でつくるらしく。栄養をよいしょよいしょと。正常細胞より自分のほうに。だからあまり食べすぎとかいうのは、どんどん食べると栄養はがんも元気にしてしまう。それから変装しております。私はがんじゃない、ぱっと変装して知らんぷりしてる、免疫細胞からもともとある我々のTリンパ球という、先月会長のほうから詳しく話されましたけど、そういうところにうししーといきよります。あの、それから、抗がん剤が効かないように、入ってきても、あっかんべーと、、すぐあのー、排出すると、そんな力をもっています。そして、自分は炎症を起こさせ、身体のあの、〇〇先生よく言われてる学説の、炎症を起こしてどんどんどんどんと、自分の活動を活性化させる。で、抗がん剤、子分の癌細胞たたかれたとしても、親分の幹細胞はなかなか死なないと、親分いつも隠れてますから。そいつが生き残って、また子分をつくると。その中で遺伝子変異というの、自分の都合のいい方にいい方にかえていきよって。そういう賢さ、だからこういう考え方で経営やったら会長だいぶと会社儲かるような気がするんですけど。ほんとに賢い。だからこの原理理論取り入れて経営やったら、と思います。スーパーサイクリン、アポトーシスしない。不死化する。いやらしい、賢いやつです。だけども、いちばん賢くないのは、本体が、私が亡くなったら私のがんも一緒に「ほなさいなら」となくなっちゃう。それを知らないのは、ちょっと賢くない。それがいちばん賢くない。それからもうひとつはがん種で病名は同じ膵癌です膵癌ですって言うても、結局個人病なんです。で、ひとりひとり顔が違う、形が違う。それから旧の抗がん剤は、まあ、延命か縮命かいうことですけど。常にやっぱり学会でも言われますけど、5段階あります、0から4でしたかね、要は身体が元気な人には抗がん剤はよく効きますけど、身体が弱っていて、ちょっと難しい、そういう方に抗がん剤をやりますと、効かないし副作用も強くなる。そういう悔しさ、しんどさがあります。だから、抗がん剤みなさん、選び方、いろいろガイドラインにありますけど、それから、いつやめるのとか、その判断、大事かなと思います。それはやっぱりみなさん患者ひとりひとり。

それからやっぱりがんになって思ったのは、今までほんとにたくさん従業員の方見送ったりしましたけど、同じポジションのところで、50代半ばでしたかね、胃癌でしたけど、腫瘍が血管の側で手術できない、で、毎年きっちりあの、ヘリコバクターのピロリ菌の関係もあって、チェックしてたのに、進行。で、病室のお見舞い、亡くなる1か月前でしたかな、あの、旧の森之宮でしたけど、成人病センターでした。行ったときに、その先輩の顔を最後忘れられない。「よー来てくれた、ありがとうありがとう」。だからやっぱりなんかこう、がんになるひとは優しいひとが多すぎるかな。だからあの、がんになられる人がみんな強力な人こわい人というわけじゃない。それから先程も言いましたけど、自分がみなさんがんになったらどうですか?ちょっとだけ質問してみましょう。周りに「はい、私膵癌です!」って言ってる方はどのくらいいらっしゃいますか?どちらかというと言いたくない人どのくらいいますか?ありがとうございます。で、そこなんですけども、あの、辛いところあるんですけど、実はやっぱりそれは話すと、結構周りになにも膵癌だけでなく癌仲間・癌友がいますので、やっぱり共有するのがいいなと思います。まあここは一応みなさんのご判断。8番も言いました。それからあの、標準治療、三大治療基本ですし、それはもうしっかりとやらなければなりません。ただ、それだけではやはり進行する場合も

それからその中でちょっと気づいたんですけど、最初みなさん、あの、膵癌は肺転移した場合、放射線治療はできない、もうダメ、なんぼでもできるか、無理無理と言われたんですけど、実は3個まで、ここのセンターの先生にお聞きしたんですけど、「Sさん3個までなら、保険でできる」、そんな話、後で分かりました。だから、結局、あの、できないだけじゃなくて、できるのものあるんで、ちょっとそういうところもよく調べる必要があるかなと思います。それからあのー、になってがんと闘うと、がんと面と向かって対峙する、闘うんじゃなくして、おとなしくさせる。と思います。ちょっと決して負けてるとかそういうことではありません。それから、結局は生活習慣、食事・運動・メンタル、そういう基本ごとも、がんとの治療、大事かなと思います。

最後ですけどやっぱり、、よくあの恨んだり、なんで私が?落ち込んじゃうという、そういう気持ちはわかるんですけど、それを言ってたら始まりませんので。私の場合、近くに900年のくすの木あるんですけど、それからもうひとつはお地蔵さん、毎日うろうろ歩き回りますけど、深夜徘徊しますから、昼間は暑いから、もう夜になったらゴキブリのように元気出して町中徘徊します。お地蔵さん、必ず3つ4つ手合して。「お地蔵さーん、今日も1日生かしてもらってありがとう、明日も良き日でありますように」ちゃんとやっぱり私思うのは、そんな、何かはこたえてくれるかなーという気がします。そして、いちばん大事なのは、あのー、ご主人が患者の場合は奥さん、それから子どもお孫さん、もう、周りの知人友人に支えられて生きてる。感謝。逆に奥さんが、あのー、患者の場合はご主人、そこがいちばんやっぱり大事。だから、あのー、がんになってかわいそうやな、結局夫婦の結束はものすごいやっぱり、強まったかなと思います。やっぱり夫婦ともに非常に優しくなりましたね。これはいちばん素晴らしいことですね。うちのお母さんも非常にやっぱり優しくなりました。ちょっと怒りますけどね。今日は来てないんで。

じゃ、残り時間ちょっとはしょっていきます。がんをおとなしくさせる、原因から遠ざかりましょうね。禁酒、禁煙、便通を整える、新鮮な野菜、果物、きのこ、海藻、豆類、ふんだんに食べましょう。果菜類中心に。それから、がんを育てるものを食べない。乳製品とかできるだけ肉類。チキン 魚は基本的に たんぱくはどうしても大豆だけというかね、植物性だけではいけません。それから塩分です、塩はもう制限する。カリウムを多くとる。甘いものは控える。血糖減少を緩やかに。白米、白いご飯食べたいんですけど。できる限り玄米とか。小麦粉でも全粒粉とか。うちパンなんかでも家内そういうの選んできてくれてますけど、ありがたいなと思ってます。。油は、オリーブ油とか、サラダ、あまり言われますけど、人工の油はがんを育てるという。飽和脂肪酸は避けたほうがいい。一般的に言われるオイル、サラダオイル。それから免疫力アップいうのは、みなさん身体をあたためましょう。今度またあの、会で歩こうね言うてますけど、運動。であのー、夏場冬場そうですけど、ちょっとみなさん歩いたら汗びしょびしょなるでしょ。体温を上げましょう。それからお風呂はぬるめ40-41度ですかね、20分。それから痛みのコントロール。それから十分な睡眠をとる。眠る。昼間、夜寝づらいという方、昼間ちょっとやっぱり寝るのもかまわないと思います。逆にあの14時くらい15分寝ると、免疫力アップする、データ。それからあとはもう運動です。やれることはやる。それからもう、がんばりすぎない。だいたいがんばるひとが患者になるわけですから。がんばりすぎない。それからみなさん、やっぱり、来たら楽しいこと、笑顔。常に、がんになったって、笑えるように、お前能天気やないうような感じですけど。笑いましょ、よしもとじゃないですけど、決して。だから、落語とか結構やっぱり聞きに行きますよ。ケタケタあほみたいに笑いますよ。家内ときゃっきゃきゃっきゃ笑ってたら、周りの人の顰蹙かいますけど。

最後終わりますけど、サバイバーになりましょう。これ女性の膵癌の方です。診断時6%というこれ生存率。なんと5年生きまして82%になる。だからみなさんなんとしてもあの、1年2年3年へこたれんと。残れば残るほど。通常みなさんあの生存曲線いうたらいやーな、薬が、右肩下がりで最後死んでしまういうんか。ああいうグラフは見ない。こちらのグラフでがんばりましょう。みなさんサバイバー、1日でも生き残りましょう。それが目指して。特に女性の方、は、父ちゃんや男よりはるかにサバイバー。これ男性出てないでしょ?多分男性は。悔しいですけどないんですよ。女性の方あの、どんどん頑張っていただきたい。それから、ちょっとこれは、、建築家で有名な安藤先生がこんなこと言うてます。「わしなー、大きい声出すんや。明るく前向きにも考える」先生もやっぱり十二指腸乳頭癌膵癌で闘病中です。責任もって、仕事、生きがいをもつこと。私の場合も仕事少なくした言っておりますけど、全部きったわけではありません。昨日一昨日人の前で喋って、講習、しゃべっております。やっぱりちょっと生きがいやりがいをもつこと。それから医者の言うことは、安藤先生言うてはるんは、よく守って、自分で判断すること、食事は30-40分かけてゆっくり食べるように、運動は1日1万歩以上あるきましょう、生きる力、これをもつ。あきらめない、これが大事です、ど根性ですけど。大事かなと。もうひとり杉浦さんという腎癌の方で、28歳でした方でしたけど。自分でこのマガジンを出してる方です、ステージ4です。生還者たちが続けた8つ、何かと言ったら、これ、何度も今まで言ってきたこととかぶりますけど、やっぱりそうかなと。ひとつはやっぱり、がんは死病と思い込むことをやめる、治るんだと思う。それからがん治療以外の人生の目標をもつ、治ったら何する?。それから自分を受け入れる。自分の価値を認める。自分より他人を他人をとやってきたけど、それはちょっとやめる。忖度をちょっとやめよう。それから発症を生活改善のチャンスと思う、生活習慣見直す。情報に振り回されず、治療法を自分で決める。補完療法等。闘病を隠さず他のひとに伝える。支えてくれる人に感謝を言葉にする。あえて「死」を受け入れてみる。若い人は辛い。こんなことでやりますと、結構みなさん方やっぱり、がんばられる方がたくさんいらっしゃる。山田総長からいただきました。「Sさん、あんたは大丈夫。」氷川きよし。人は生まれたら必ず死がある。、どうですかみなさん、循環器の疾患でぽてちんでうーんん死んでしまうか、がんで「おとうちゃーん」言いながら夫婦でまだまだ時間があって、どっちがいいですかー。「がんやね」。。で、結局はあの、7080代、、結局若い方、おじさんたちは、いかにやっぱり5040代、若い方のサポートが大事かなと思います。

はいあのー、最後になりました、昨日の講演ですね、後藤先生という方がいはりました、自分のがんについて勉強してね、病状をしっかり把握してね、病状に合う標準治療をしっかり尋ねてくださいね、自分が納得する治療をすすめてくださいね、やはり最初の治療が大事です、と言っておられました。これを最後に終わらせていただきます。色々喋りましたけども、何かひとつでも参考になったら。明日からやってやろうかとか。今日真剣に聞いていただいて大変ありがたい。こういう生活をしております。いいですねー。終わらせていただきます。1日一生明るく元気に前向きに生きたい。長時間聞いていただきありがとうございました。みなさんの

 

(会長)

 

貴重なご講演どうもありがとうございました。みなさんにも参考になったと思うんですが、何か質問しておきたいことありましたら、手挙げていただきたいんですが、ありません?あのー、なんでも聞いといていただきたい。彼も、今日は寿命を延ばす話をされたんです。でも、いつかは寿命きれます。それはがんである可能性は非常に高いです。そのときに自分がどうするのか。実はですね、こういうあれで、私は最近いつも思うのは、がんばる、生きる話が多い、どうやって生きようかと。でもね、最近あるとこの講演を聞きに行って思ったのは、最期自分がいずれ死ぬんだけど、がんで死ぬ可能性大きいんだけど、そのときに自分がどうしようかと、これをね、一方知っておかないと、最期のときに慌ててしまう、ここは重要かなと私思ってましてね。この会でも一度はみなさんに勉強しておいてほしいなと思っています。感動する話はみなさんには一度そのことも考えて。できることばっかり考えていると、いざ自分が死ぬときに非常に苦しみますよ。そうでなくて、いざそうなったときにはどうなるのか、これを勉強しておいたほうがいいかと思います。今日はありがとうございました。